暑中見舞い申し上げます


クライアントとの話し合いが終わり外に出ると、ちょうど陽射しの強い時間帯になっていた。
アスファルトから湯気でも出ているような熱気に、昌平君は元より深い眉間を更に皺寄せる。
こういう時に限って、すぐにタクシーが捕まらない。だからといって炎天下の中で立ち尽くしていたところで、もれなく熱中症コースだ。自分が求めているのは救急車ではない。
仕方なく、昌平君は近くの駅まで歩くことにした。

汗で肌に張り付くシャツが気持ち悪い。
これでも夏用の生地のものを着ているのだが、その機能も猛暑の前では意味を成さないらしい。
長い髪も、首やこめかみに張り付き、汗のしずくを垂らしている。
何故こんなに髪を伸ばしたままにしているのか我ながら理解不能だと思った。
うっとうしいことこの上ない。いっそこのままヘアサロンへ行って思いきり短くしてしまおうか。そうしたら、この鬱憤も少しは晴れるだろうか。

あまりの暑さに昌平君の思考回路が溶けだしてきた頃、不意に横からチリリン、と軽やかな音が聞こえた。
振り向くと、そこは八百屋だった。トマトや茄子、キュウリなど、夏の野菜を中心に、木箱や段ボールに詰め込まれ、所狭しと並んでいる。
その軒先に風鈴が吊るされており、どうやらこれが音の出どころのようだった。
高層ビルに囲まれる中、まるで時代に取り残されたような店の風体に、昌平君は惹かれるように足を向けた。
店は申し訳程度に扇風機が置いてあり、ぬるい空気を水色のプロペラでかき回している。
奥の方ではラジオが高校野球の実況をしているようだ。もう少しで甲子園が始まるのだった、と思ったところで、自分の家でテレビにかじりつき、贔屓の学校を熱心に応援している一人の男を思い出した。今頃彼も、この試合を観ているだろうか。

「いらっしゃい。何かお探しで?」

店主に声をかけられ、昌平君は、ハッと我に返った。
うっかり物思いに耽っていたらしく、あたりを見渡すと、数人の主婦に見られており、ヒソヒソと不審者扱いされていた(不審者を見る目と言うには喜色に満ちていたが)
店主も放っとくわけにもいかなかったのだろう(何故か店主までも頬を染めているが)
何も買わずに去るのも気が引け、昌平君は目に留まったものを買うことにした。



自宅に帰りつき、チャイムを押して同居人の出迎えを待つが、一向に反応が無い。
どこか出かけたのだろうかと、携帯に連絡がきていないか確認するも、特に無し。
仕方なく自分で鍵を開け中に入ると、リビングからテレビの音が聞こえてくる。どうやら家には居るらしい。

「信?」

リビングへ向かうと、ソファでうたた寝をしている同居人を見つけた。
テレビは予想通り、八百屋で聴いたラジオと同じ、高校野球の試合のようだった。
エアコンの効いた部屋は心地よく、あんなに不快だった汗がみるみるうちに引いていく。
持っていた荷物を下ろし、ソファへ近付いた。カーペットに座り、信の様子をじっと眺めた。
片方の手足をソファに引っ掛け、もう片方はだらんとカーペットに落ちている。

「寝相の悪い奴だな」

一緒に寝ている時は自分が抱き込んでいるので、このようなことにはならないが、
一人で寝させるとよく大の字になっており、おそらく同じ体勢を取ろうとした結果の姿なのだろう。
体勢のせいか服も乱れており、上はタンクトップ、下は短パンという少ない布地から健康的な肌が露出している。
昌平君は目を細め、乾いた唇を舐めた。無防備な信の姿を見ていると、むくむくと悪戯心が頭をもたげてくる。

脇をくすぐり、そのまま胸の頂を摘まんでしまおうか。
露わになっている臍をキスマークだらけにするのも悪くない。
裾を割って、足の付け根をなぞってやれば声を上げるだろうか。

「信」

信は目を覚まさない。

「……信」

あと1回、呼んでも起きなかったら。


「………ん……?」

信がゆっくりと目を開けると、そこには至近距離で己を見つめる昌平君がいた。
どうやら唇を塞がれているらしい。起きたばかりで頭が回らないが、昌平君からのキスを拒む理由がひとつも思い浮かばなくて、信はそのまま、トロンとした目で昌平君の首に腕を回した。
するりと口内に侵入してくる舌を受け入れて、自分のものと絡める。

気持ちがいい。もっとしていたい。昌平君。

半ば夢うつつで思っていると、唇が離れていく気配がして、信は不満そうに唇を尖らせた。
その顔を見て、昌平君は思わず笑いをこぼす。

「いたずらしてやろうと思っていたのに、そうあっさり受け入れられると困る」

その笑顔が信への愛情に満ちていて、胸がきゅうと苦しくなった信は、たまらず昌平君に抱きついた。

「……すればいいだろ。いたずら」

そう言って、昌平君の胸に顔をすり寄せた、その時。

カキーーーーン!!

爽快な音が耳を突き抜けた瞬間、信は目を見開いて勢いよく体を起こした。
テレビを凝視すると、バッターの打った球が大きく弧を描き、スタンドに落ちるところだった。

「やったーーー!!ホームランだぜ!!決勝!甲子園決定!おい見たか昌平君!見てなかったって!?何だよもう!」

目を輝かせ、鼻息を荒くしながらバシバシと昌平君の肩を叩いて興奮する信に、昌平君は一気に脱力した。
こんなことなら寝ている間にテレビを消しておくんだったと、据え膳を没収された悔しさに打ちひしがれる。
こうなってしまっては、再び同じ空気に持っていくことは難しい。昌平君は早々に諦めて、シャワーでも浴びてこようと体を起こした。

「あれ?なんだこのスイカ、買ってきたのか?」

信に聞かれ、それまですっかり忘れていた手土産を思い出した。
大きく形のよい丸みをおびたスイカを、信が興味深そうに撫でたり小突いたりしている。

「ああ、偶然見つけてな。たまにはいいだろう」
「めっちゃ美味そう!早く食おうぜ!あっ、ビールも確かあったよな?」

頭の中は完全にスイカモードに切り替わったようだ。いそいそと冷蔵庫をのぞいたり、食べる為の準備を始めている信に、昌平君は笑みを漏らした。

「冷やしてからがいいだろう。夕飯の後にしたらどうだ」
「え~っ待てねえよ~あと何時間後だよ……でもそうだよな、冷えてる方が美味いもんなあ」

うんうんと葛藤している信を見て、昌平君は再び据え膳が目の前に差し出されたことに気付き、笑みを深める。

「時間があっという間に過ぎる方法を教えてやろうか?」
「え?そんなんあるのか?」
「ああ。教えてやるからスイカを冷蔵庫に入れてこい」
「わかった!」

意気揚々と冷蔵庫に向かう信が浴室に連れ去られ、昌平君とたっぷり汗を流して時間を過ごすまで、あと3分。