疲労困憊で帰ると君がいた 1

ピピピ、と、腕時計にセットしていたアラームが鳴り、昌平君は持っていたペンを机に落とし、のろのろとスイッチを切った。
静寂の戻ったオフィスで一人、背もたれに体重を預けて深く息を吐き出す。
集中が途切れ、アドレナリンで麻痺していた疲労が一気に押し寄せてくる。体のあちこちが軋み、閉じた瞼の裏で目が渇きを訴えていた。
深く皺を刻んだ眉間をほぐしながら、明日のスケジュールを頭の中で確認した。
クライアントと会うのは午後一時。幾分か時間に余裕がある。少しでも休んで、疲れた顔を取り払わないといけない。

(……帰るか)

このまま泊まることも考えたが、自分のベッドで眠れる猶予があるならその方が疲労は軽減されるだろう。重たい体に鞭打って起き上がり、ジャケットとブリーフケースを掴んでオフィスを出た。
自分で運転することも諦め、車を置いてタクシーを呼んだ。虚ろな目で流れる景色を見ていると、建設中のビルの灯りが目に留まり、自然と脳裏に恋人の姿が浮かぶ。
最後に会ったのはいつだっただろうか。お互いの職種が違うこともあり、電話もままならない日が続いている。
メールのやり取りは少しだけ。マメな方ではない恋人がくれるメッセージは「今から寝る」とか、「飲み会に行ってくる」「今日は仕事がうまくいった」など短いものがほとんどだ。最近は、そうだ、画像が送られてきた。仕事場近くに野良の子猫がいて可愛かったと。
あどけない表情の子猫は確かに可愛かったが、それよりも、その子を抱えている手の持ち主の方がずっと昌平君の心を奪っていた。日に焼けた肌と、仕事で汚れた指先。そのどれもが、焦がれてやまないものだった。

ああ、一目でもお前に会うことができたなら、ベッドで眠るより何倍もの回復効果があるだろうに。
自宅付近に着き、タクシーを降りた昌平君は目を瞠った。部屋の明かりが付いている。

「おう、今日はもう帰ってこねえかと思ったぜ」

玄関を開けて中に入ると、音を聞きつけた信がリビングから顔を出し、笑みを浮かべて出迎えた。無言で立ちつくしこちらを見つめる昌平君に、信はわたわたと濡れた自分の髪をつまみながら弁解する。

「ごめんな、勝手に風呂借りた。合鍵は貰ってたけど、流石に汗だくのままくつろがせてもらう訳にもなってさ……あ、腹減ってるか?自分用にだけど、つまみ買ってきたから、」

リビングに再び戻ろうとする信を引き止めた昌平君は、そのまま抱き寄せて肩に顔を埋めた。

「……信」
「おう」
「信」
「ふは、無精ひげ、痛ぇよ」

抗議の声はやわらかく、昌平君はたまらずに、その肌に顔をすりつけた。
風呂上がりの石鹸のにおいと混じってる信の匂いが鼻腔をくすぐり、泣きたい心地になって、昌平君は自分がどれだけこの存在に焦がれていたかあらためて思い知った。

「ただいま、信」
「ああ、おかえり……昌平君」

じんわりと体に染み入る信の声に応えるように抱く腕の力を強める。重なる手の温もりが愛しい。
きっと明日は晴れやかな顔で出社する自分がいるのだろう。現金な自分に笑みを浮かべながら、腕の中の存在に感謝した。